笠井叡さんの舞台「神々の残照」、壮観でした+世田谷美術館では小野二郎展、お見逃しなく!

 白牡丹 ひらきかかりて 暮れてをり     (長谷川 櫂)

 初夏、梅雨になる前あたりの風景でしょう。牡丹の花の白さが夕靄のなかに映えるよう。櫂さんの第二句集『天球』(1992年)から引きました。初々しい情感が出ています。さあ今年もはや六月を迎えました。

 5月25日(土)の午後でした。半蔵門駅で降りて、久しぶりに国立劇場を目指します。ここの大劇場で、「伝統と創造のあわいに舞う」と副題の付いたイベント『神々の残照』が上演されました。日本舞踊にインド古典舞踊、トルコ舞踊に加えてコンテンポラリーダンス、といった盛沢山の演目、トリをつとめる舞踏家・笠井叡さんから招待いただき、勇んで会場へ、でした。

 その笠井さんの妖しい舞台画像をまずご覧ください。これは旧ブログでレポートしましたね、シアターχで昨年の九月に行われた吉増剛造さんと笠井叡さんとのコラボレーションのあとに、僕が司会で参加したトークの際のスナップですが、バックに1968年の『稚児之草子』の笠井さんです。当時二十四歳でした。

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 ふたつめの画像は、ナポリの考古学博物館で踊る笠井さんです。そして『神々の残照』のポスターをどうぞ。

大劇場、さすがに広いです。昔に東横女子短大に勤めていたころ、国文科の学生らを引率して歌舞伎鑑賞会に来たことが何度かありました。それから、あれはもう10年ほど前かな、ピナ・バウシュのヴッパタール舞踊団の公演で『カフェ・ミュラー』を観たのもここでした。さて幕が開きます。一番手は、日本舞踊で長唄『翁千歳三番叟』、解説によると能楽の『翁』から発展したものとか。尾上・花柳・若柳の日本舞踊の三流派からそれぞれを代表する演者が出ましたが、画像は、「三番叟」の若柳吉蔵です。

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 さてこれが幕となって、長い幕間休憩に入ります。舞台装置の転換に時間がかかるのでしょう。座席の周囲には、やはり招待されたダンスの評論家や研究者のかたたちがそこにもここにも、です。バレエ・リュス(ロシアバレエ団)を専攻する芳賀直子さんが左隣に、美学者で土方巽論もある谷川渥さんが右手にひとり置いての席におられたので、幕間に話しも弾みます。

 続いてはインド古典舞踊です。四人のダンサーが登場しましたが、中心はなんと日本人女性です、小野雅子さんが「オディッシー」と呼ばれる伝統舞踊のダンスを引っ張ります。首や腰や膝を屈曲させて、仏像彫刻の姿に似せるかのようなポーズも、インド舞踊の特徴でしょう。一連の企画を担当した舞踊評論の石井達朗さんにあとからうかがったところでは、小野さんはインドでも大変に人気のある踊り手だとのことです。

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 三番目のトルコ舞踊は、メヴラーナ旋回舞踊というのだそうですが、音楽の演奏に合わせて男性の踊り手らがひたすら旋回します。なかなかシブいものでしたが、ちょっと退屈(笑)。

 最後が、笠井叡さんの構成・演出・振付によるダンス作品「いのちの海の声が聴こえる」です。笠井さんは独特の言語観身体観をお持ちで、それは書肆山田から刊行の『カラダという書物』などに詳しく述べられていて、僕はそれを武蔵野美大での講義資料に勝手に使わせていただいていますが(笑)、とにかく大事なのはテクストを読み上げる、朗詠する声、なのです。

 今回は、あの稗田阿礼が朗唱して伝えたとされる『古事記』の「国生み」「冥府降り」「天岩戸開き」のくだりを使って、20人が群唱し、19人のオイリュトミーダンサーと、コンテンポラリーダンスのダンサー11人、総計50人が舞台でパフォーマンスするのです。バックには、マーラー作曲の交響曲第五番が奏でられます。

 この舞台画像、あちこちを探して、やっと二枚だけ手に入れました。

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 このステージの基本は、オイリュトミーダンスでしょうね。19名のダンサーが身にまとう衣装が、お金がかかっていることもあるでしょう(笑)、素晴らしい。そこに絡むダンサーたちですが、叡さんの三男の瑞丈さんにパートナーの上村なおかさんに加えて、彼らは先日世田谷パブリックシアターであった『高丘親王航海記』にも出ていました、近藤良平氏に黒田育世さん、それにバレリーナの酒井はなさんらが客演です。

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 画像、近藤氏と黒田さん、です。皆さんもちろん魅力的なダンスを披露しましたが、とりわけめざましかったのが、かつては牧阿佐美バレエ団でしたね、バレエ出身の酒井はなさんでした。バレリーナだから当たり前といえばそうですが、ポアントの決め技がバッチリです。

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 ともあれ、大きなカタルシスを体験できた舞台でした。

 今日のもうひとつの話題は、世田谷美術館で6月23日まで開催中のユニークな企画展のことです。

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 はい、こちら。ウィリアム・モリス研究で知られた英文学者であり、晶文社の創立に関わった編集者でもあった小野二郎(1929~1982)を採りあげたもので、「ある編集者のユートピア  小野二郎:ウィリアム・モリス、晶文社、高山建築学校」という展覧会タイトルです。

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 美術館での展覧会で、文学者であり編集者だった人物を主人公とするのは大きな冒険だったでしょう。企画の中心を担った学芸員は、昔「瀧口修造研究会」で一緒に勉強したことのある矢野進さんです。正月に頂戴した年賀状でこの企画展のことを知らされていたので、さあどんなものに、と期待していました。これが実に見応えのある充実した内容なのですよ。

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 1982年に52歳という、若い年齢で亡くなった小野二郎でしたが、精力的に執筆しました。その主著が展示されるのは当たり前です。『ユートピアの論理』(1969年)や中公新書『ウィリアム・モリス』(1973年)、『装飾芸術』(1979年)などが並びます。

 しかし小野二郎とくればウィリアム・モリス(1834~1896)なのですから、詩人で工芸家で社会改革家であったモリスの世界の紹介も並行して行われます。モリスがデザインした壁紙や、経営した出版社のケルムスコット・プレスが出した美しい書物も展示されています。そもそも小野がモリスに多大な関心を抱いたのは、駆け出し編集者時代に、編集実務入門書のなかにモリス独自の版面の作り方を知って、その「モリスの法則」に感銘を受けたからでした。

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 また小野二郎の残したノートや原稿、それに著書を贈呈した相手からの礼状なども展示されています。おお、寿岳文章、鶴見俊輔、篠田一士、高橋康也、清水徹などの諸氏が送っていますね。次の味のある筆跡は、寿岳文章氏のものです。

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 大学院を出て就職した出版社の弘文堂で、谷川雁や、コマバ時代の恩師のひとりだったでしょう、寺田透の著書などを手掛けていますが、なんといっても注目すべきは、「現代芸術論叢書」でしょう。当時まだ20代くらいの新人だった書き手の意欲作がズラリと並びます。澁澤龍彦『サド復活』、大岡信『芸術マイナス1』、飯島耕一『悪魔祓いの芸術論』、それにこれは僕も愛読しました(笑)、安東次男の『幻視者の文学』などです。

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 1961年でした、小野二郎は、大学時代の親友の中村勝哉と組んで、出版社の晶文社を立ち上げました。その外看板も展示されています。また、社のシンボルキャラクターである犀もありました。これは、晶文社の刊行物のいわば座付き装丁者、ともいうべきデザイナーの平野甲賀さんが選んできたものだとか。

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 晶文社の最初に刊行物は、寺田透さんの評論集『理智と情念』の上下本だったよし、寺田さん、僕も敬愛していて、一度生前に葉書を頂戴したことがあって有頂天になりました(笑)、その話は前の「饒舌三昧」で綴っていますが、ただ、寺田透、晶文社のカラーとはちょっと合わない、という印象です。小野二郎の追悼文で、寺田氏は、最初の著作以外は、評判になったモリス論などまったく贈ってもらわなかった、と書いているのが意外でした。カトリック教会での小野の葬儀では葬儀委員長を務めたそうですが。

 さあ、以下に主だった晶文社の出版物を紹介します。ベンヤミン著作集をはじめ、わが家の蔵書、あるいはかつての蔵書とダブるものがほとんどです。ああ、植草甚一のものは一切持っていません。読んだことすらありません。ここらあたりのジャズふうのノリは、僕には軽すぎるのです。

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 最後の展示コーナーは、高山建築学校のもの、これについては全く知識がなかったので、勉強になりました。建築家の倉田康男が、飛騨高山の廃校を使って始まった、一種の自由大学ですね。生松敬三や木田元といったそうそうたる哲学者も参加しています。小野も講師に呼ばれて以来、持論のユートピア理論に波長の合うのを感じてでしょう、熱心に関わったそうです。そして小野の没後一年に刊行された追悼文集『大きな顔』の版画作品をどうぞ。

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 6月1日(土)でした。企画展の関連イベントとして、晶文社で長く編集の仕事をされた評論家の津野海太郎さんのお話がありました。僕は津野さんとは、もう44年前になります、1975年に知り合っているのですね。荻窪にあった「ポロン亭」という喫茶店ででした。ママの鷹山みよさんが津野さんと知り合いで、津野さん、当時はアングラ劇団の通称黒テント、演劇集団68/71のメンバーで演出にも関わっていたので、「ポロン亭」には俳優の福原一臣さんらもよく見えていました。お店の場所が、駅の北の天沼神社の手前、僕が当時住んでいた学生アパートは、そこからさらに北に10分近く歩きましたが、とにかく毎日お店の前は通るのです。

 津野さんとはその後も吉祥寺の酒場などでバッタリお会いして呑んだこともあります。小野二郎と晶文社のことを語るというので、「「陽性の親和力」の運動」と題されたこの講演、楽しみでした。

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 矢野進さんの質問に答えるという形で進んでいきましたが、お話しは細部が具体的でとても興味深いものでした。さて講演の終了後の質問タイム、僕は津野さんに、やはり「ポロン亭」によくお見えだった編集者の久保覚さんとのことを尋ねてみました。(ママのみよさんと久保さんは古い友人だったとか、でした。ふたりとも鬼籍に入られてかなりの時間がたちますが。)

 質問に際して、「久保覚さん、当時はせりか書房の編集者だったはずですが、僕にはいつも「君、ベンヤミンを読みたまえ」と言ってました。またせりかから瀧口修造の戦前の文章を集めた『シュルレアリスムのために:』を出すので、よく瀧口家を訪ねたようですが、瀧口の日記に「せりかの久保氏からベンヤミンの話を聞く」というくだりがありますね」と加えます。それに対しては津野さん、「久保覚さんはきわめて優秀な編集者だったので、晶文社に入るという話もあった。しかし、社長の中村勝哉も個性が強いから、合わないんじゃないか、というのでせりかだったね。ベンヤミン著作集、あれは詩人の長田弘がやったものだ。彼も晶文社の編集顧問だったので」、こんな答えをうかがうことになります。久保さん、もちろん小野二郎とも親しかった、とのことでした。

 講演会の終了後、エントランスフロアで津野さんとしばし立ち話。「君も当時は青年だったけど…」「そりゃあもうトシです、今年で65歳になりますよ」でした(笑)。「ポロン亭」のころがとても懐かしいです。

 お別れの引用句、小野二郎の言葉としましょう。

「デザインは技術の過程を不可避の問題とするが、根源的には人間個々の内部から噴出するものなのだ。」

                (小野 二郎  『ウィリアム・モリス』)

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