灘校の土曜講座で詩について講義、そして白鶴美術館に行ってきました


 秋風に いよよまるまる鶉(うづら)かな      (坂内 文應)

 曹洞宗の僧侶にして俳人の坂内さん、待望の第二句集『天真』がふらんす堂より刊行されました。誕生したばかりの句集から秋の句を引きます。第一句集の『方丈』が2001年でしたから、ほんとに満を持しての一冊です。この句、藤原俊成の名作「夕されば野辺の秋風身にしみて 鶉鳴くなる深草の里」を踏まえたものでしょうね。「ひとつとりふたつとりては焼いて食ふ 鶉なくなる深草の里」は四方赤良(よものあから)こと太田南畝(蜀山人)の名作パロディですが、この句も冷たい秋風に羽を丸める野鳥の姿をパロディ化したものでしょう。「いよよまるまる」がシャレています。
 
 神戸市東灘区の魚崎北町にある私立灘高校は小生の母校です。昭和でいえば45年4月から48年3月までの三年間を学校のすぐ近くに下宿して大学受験の勉強に励んでいました。この母校から声をかけてもらって、灘校版の「ようこそ先輩!」ですね(笑)、土曜講座という自主講座に講師として参上し、現代詩についてレクチャーしてきました。あの阪神淡路大震災のために50年近く前に住んだ界隈はすっかり様変わりです。大震災の翌々年でしたか、気になるので郷里の紀州和歌山に帰省した折に訪ねてみてその変わり果てように驚いたものです。

 ともあれ、まず灘校にご案内しましょう。

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 校門を入ると右手に、本校の創始者である嘉納治五郎の銅像が建っています。経営母体の白鶴酒造のオーナーの親戚で柔道の世界でも名を馳せたことは在学中から知っていましたが、若くして東京高等師範学校の校長先生に就任し25年間!校長の座にいた教育のプロだったのは後年に知りました。

 ざっと校内を一巡、第一グラウンドはおや、人工芝が張られていますね。住吉川の土手につながる石垣は昔のままです。懐かしい。

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 さて時間です、90分の講義を始めましょう。「詩のたのしみ~言葉の宇宙の謎を探る」と題して、プリント教材もたくさん用意しました。とにかくムツカシイとされる現代詩の世界、隠喩の問題やシュルレアリスムの影響、さらにはエクリチュール概念について、などなど受講生諸君には馴染みのない専門用語も出しますが、理解力の高い皆さんでしょうから手加減はしません。出席者名簿を見ると、中学2年生が4名、中学3年生が3名に、高校1年生が3名、高校2年生が11名、計21人が来てくれていました。

 現代詩の言語実験はどこまで来たかを語るとなると、やはり吉増剛造さんを紹介しないわけにはゆきませんね。詩篇「独立」のなかの名フレーズ「バッハ、遊星、0のこと」、これを朗読しましたが、コメントペーパーに「この言葉はもう一生涯忘れません」とありました。おおいに結構です(笑)。受講生たち、いたって素直な様子で、「どんな詩が好きなの?」と尋ねると、「島崎藤村の「初恋」です」という答えが返ったのには「おやおや」でしたが。最後は、小生らの編著の『やさしい現代詩――自作朗読CD付き』からねじめ正一さんの自作詩朗読の録音を聴いてもらいました。「自転車コキコキ」の繰り返しには爆笑です。では教室風景をどうぞ。

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 講義を終えて控室に戻ると、お世話くださった先生から、「お疲れさまでした。記念にこれをどうぞ」と、土曜講座の担当者にくださる記念品を頂戴しました。嬉しかったので(笑)、紹介しますね。

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 特製手ぬぐいですね、「精力善用 自他共栄」という嘉納治五郎さんの座右の銘?、すなわち校是ですが、それが染められています。そして校名の彫られたボールペン、さらに学校の紋章のついた煎餅でした。ありがとうございます。

 せっかくの機会ですから、元の下宿先跡も見ておきましょう。第一グラウンドの脇の坂道を下ると、四つ角に山本酒店(看板は「商店」です)がなおも健在でした。関東大震災の後に関西に逃げて来た谷崎潤一郎は、初めのころは神戸のこの魚崎や岡本あたりを転々としたのですが、この山本酒店にも数か月間住んでいたのが現在の調査で知られています。小生の下宿は、山本さん宅のお隣の素人下宿の二階の四畳半でした。そうか、この文豪とは約半世紀の時間を隔てて、お隣同士の住人だったんだなあ、と感慨にふけったこともあります(笑)。しかしわが下宿跡はあの大震災で影も形も残っていません。下宿の窓からは森本邸(灘校の国語の森本先生宅でした)の広い庭の木々の緑が見えて目の保養でしたが、庭のあったところはいまは草茫々。50年近い歳月が流れました。

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 灘校は住吉川のすぐ東に建ちますが、川沿いの道をしばらく上ると西に白鶴美術館があります。東洋一の青銅器コレクションで知られた美術館です。ここは白鶴酒造のオーナーが建てたものですから、灘校とはいわば親戚関係、よって灘校生は生徒手帖を見せるとフリーで鑑賞できたので、秋口のお天気のいい日曜など散歩がてらに何度か訪ねたものでした。紀州に帰省する際にここにもまた来たいなと思っていたのですが、帰省するお正月や旧盆のころはずっと長期休館の時期です。これは訪ねないと、でした。バッグはJR住吉駅のコインロッカーに預けて、お天気であればぶらぶら歩こうという心づもりだったのに、生憎午後から雨が降ってきます。それに東京に帰る新幹線までそう時間もありません。住吉駅前からタクシーで乗りつけました。

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 さて現在は、秋の企画展として「文字を語る~白鶴コレクションにみる漢字造形の変遷」展を開催しています。展示会場は撮影が出来ませんので、HPの画像を借りました。

白鶴  卣(ゆう).jpg白鶴 象文卣.jpg白鶴 賢愚経.jpg白鶴 日野切 (千載集) 俊成筆.jpg

 まずは、上のふたつですが、向かって左が「四弁花文帯卣(しべんかもんたいゆう)」、右が「象文卣(ぞうもんゆう)」でともに殷の時代」の青銅器です。「卣(ゆう)」とはあたためた酒を容れる器ですね。左には「歴」の文字が、右には「為」の文字が刻まれているそうです。こうした青銅など金属に書かれた文字を金文といいます。石に書かれた文字と一緒にして「金石文」と称されます。甲骨文字の次に中国に現われた漢字の書体です。3000年以前の昔の文字がここにあります。

 下のふたつ、左が奈良時代に書かれた「賢愚経」、国宝です。見事な楷書の書跡ですね。右は、藤原俊成が書いた千載和歌集の一節である「日野切」。切とは、巻物の断簡をいいます。千載集はこの俊成自身が単独の選者を務めた七番目の勅撰和歌集です。息子の定家の豪快な筆跡とは違って、ごく当たり前の名筆です。しかし偶然とはいえ、今日の記事には俊成が二度も登場しましたね(笑)。平安・鎌倉の時代を跨いでなんと90歳まで生きた大歌人でした。

 こんな具合に、漢字が登場する東洋美術の逸品がたくさんコレクションにある、というのが凄いです。ただ雨の午後の40分ほど館内で鑑賞しましたが、他の入館者はやっと帰るころに年輩の男性がひとり、というのは寂しいです。本館の近くに建った別館では絨毯展を観て、「白鶴美術館前」のバス停から住吉駅までバスで帰りました。

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 お別れの引用句です。灘校の土曜講座、現代詩についての講義の際に、実は一番最初に「皆さんに現代詩を紹介しましょう」というので朗読をした拙作詩篇から、とさせてください。

「ああ、 つめたい光だな。
 天使が、逃げたんだ。」

            (林 浩平 「天使」(詩集『天使』より)

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