富山県の五箇山の合掌造りを訪ねました+「アナホリッシュ國文學」第8号「特集・太平記」が誕生です


 秋風や 子供二人が 草の中       (坂内 文應)

 刊行されたばかりの句集『天真』からまた一句を。文應さんは曹洞宗の僧侶ですから、「首座(しゅそ)」とか「梵唄(ぼんばい)」、「遺偈(ゆいげ)」などといった禅宗特有のムツカシイ言葉も句集には散見されます。この句、シンプルな語彙で素直な言い回しですが、しかし、どこかに禅味が隠れているような。句集に序辞を寄せた高橋睦郎さんもベスト15句のなかにこの句を選んでいますね。

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 富山県美術館で開催中の加納光於/瀧口修造展のオープニングの翌日でした。せっかく富山に来ているのですから、名所見学を、というので、五箇山(ごかやま)の合掌造りの民家を訪ねてきました。東海北陸自動車道を南へ、岐阜県との県境の、幾重もの山に取り囲まれた谷間に五箇山はあります。高速のトンネルに入ると、トンネルが長い、長い。いったい出口はいつになったら現れるの、でした。7キロほどあったでしょうか、やっと五箇山ICへ。もう少し走ると、やはり合掌造りで知られる岐阜県の白川郷です。さてここ、平家の落人伝説もある秘境だった、というのも納得です。最初に訪ねたのは、国内最大?の合掌造り家屋と言われる岩瀬家住宅です。急勾配の屋根が手を合わせたような形なので、こう名付けられたとか。

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 国の重文に指定されているこの岩瀬家、300年ほど前に八年をかけて建てられたもので、二十四畳敷の空間の敷板はすべて欅が用いられ、釘は一本も使わず縄などで結びあげているのだとか。岩瀬家は江戸時代、当地の特産品である塩硝(あとから説明します)の精製を取り仕切って加賀藩に納入する「上煮屋(うわにや)」の元締めで、常時20~30人がここで働いていたとか。一階の畳の間には仏間や書院の間もありますが、床の間の前に熊の毛皮が敷かれているのは土地柄でしょうか。

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 ここは茅葺き屋根の準五階建て。二階に上ると、そこここに農具や生活用具が置かれています。三階から五階は、養蚕や製紙の作業場で、天井は低く、仕切りがありません。なんといっても特徴的なのは、床は透かしの日皿(というそうです)になっていて、階上から下の囲炉裏などが透けて見えます。ですから、二階や三階を歩くときは、床が落ちやしないかとコワかったです(笑)。これは、一階の囲炉裏の煙が屋根裏まで立ち昇ってきて、暖かくし、さらに材木が燻されるようにするための知恵なのだとか。いやあ得難い体験でした。ちなみに、帰りがけにここでお土産に買ったフキノトウのお味噌がとても美味しかったです(笑)。

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 岩瀬家の左隣には、浄土真宗の大谷派の行徳寺が建っています。北陸地方は例の蓮如の布教活動のお陰で浄土真宗が盛んですが、五箇山地方は蓮如の弟子であった赤尾道宗という在家の念仏者が布教に努めたそうです。山門は古くて18世紀のものだとか。山のなかの村にも歴史の跡が刻まれています。

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 岩瀬家からしばらく移動すると、菅沼合掌造り集落が見えてきました。ここには現在9戸の合掌造り家屋が残っています。お土産物屋や食堂になったのも多いのですが、なかの一戸は「五箇山民俗館」として、養蚕や紙漉きなどの生活用具や民俗資料を展示しています。のぞいてみましょう。

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 冬場は深い雪に閉ざされるこの地方、村のひとたちは合掌造りの家のなかで手仕事に励んだわけです。そんななかで注目されるのは、火縄銃の火薬の原料となる煙硝の製造ですね。ただこちらでは塩硝と書くので「塩硝の館」というのがあり、これを作る過程などを展示しています。養蚕で飼う蚕のフンを材料にするそうです。蚕や鶏の糞や麻やヨモギの葉を干したものを混ぜて地中に積み重ね、囲炉裏の熱で数年間発酵させます。なんでも堆肥づくりの応用だとのこと、五箇山の塩硝はとにかく品質が良かったそうで、この地を支配していたのは加賀藩ですから金澤まで運ばれたよし。

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 さらに移動しましょう。ここは、24棟の伝統的建造物の建つ相倉(あいのくら)集落です。

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 空模様が怪しくなってきました。五箇山訪問は以上で切り上げ、北の砺波(となみ)平野のほうに戻ります。南砺市の井波地区を訪ねてみました。ここは、1390年に創建された本願寺系の古刹です、瑞泉寺の門前町として古い歴史を持ちます。山門は立派、ここに施された彫刻の技は大したものです。

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 そんなところから「井波彫刻」や「井波大工」が有名だそうです。瑞泉寺にいたる幅の広い参道の八日町通りは古い建物が続き趣きがありますが、あちこちに木彫の専門店が立ち並びます。また大正時代の北陸銀行支店の建物を使った井波美術館も目を引きました。

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 参道を少し脇道に入ってゆくと、風情ある家屋が。ここが観光案内に出ている黒髪庵ですね。誰の黒髪を祀っているかというと、それはあの松尾芭蕉の、なのです。なんでも瑞泉寺の住職だった常照は、俳号を浪化(ろうか)と称した芭蕉の弟子だったよし。芭蕉は大阪で亡くなり、遺骸は淀川を船で運ばれて近江の国の琵琶湖畔の義仲寺(木曽義仲を葬っています)に埋葬されますが、その際に師の遺髪をもらい受けて、ここに塚を建てたとか。ご覧ください、なかなか雅趣あるところです。

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 おや、芭蕉の弟子の樗良(ちょら)の句碑などもありました。ここは気に入ったので、門前で記念スナップです(笑)。越中富山紀行、でした。

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 話題は変わります。5年間ほどインターバルが出来てしまいましたが、日本文学総合誌の「アナホリッシュ國文學」が復活を果たしました。軍記物語の『太平記』を特集した第8号が誕生です。書影をお目にかけます。

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巻頭対談は、中世文学の兵藤裕己さんと日本史学の呉座勇一さん。論稿は、野口武彦さんに川田順造さんの他、文学・歴史学・宗教学の専門家の皆さんが実に充実したご論を寄せてくださいました。(川田さんの稿では、『太平記』と直接関係はないのですが、浄瑠璃作家の近松門左衛門がなんとスペイン語を学んだ、と教えられビックリです。)兵藤さんと呉座さんの対談、僕がカメラマンを務めていますよ。

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 いや、この第8号から本誌の編集顧問というお役に就いたのです。まったく役不足は自認しますが、責任重大、なんとかおつとめを全うしたく励みます。『太平記』特集号、どうもトーハンと日販の取次店の事情があって、書店の店頭に並ぶのは、15日のところと21日のところがあるのだそうですが、定価は税抜きで1800円です、ぜひお手にとってご覧ください。そしてお買い求めください(笑)。

 お別れの引用句です。富山県は「真宗王国」、まさに浄土真宗のメッカ!ですが、真宗といえば「南無阿弥陀仏」を唱えて西方浄土に転生するのがそれこそ本願でした。『新古今集』の巻末歌、釈教の巻のラストに置かれたのが、西方浄土を詠んだこの西行詠です。

「闇晴れて こころのそらに すむ月は 西の山辺や 近くなるらむ」    (西行)

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