砂丘館では加藤啓展と俳誌「白茅」創刊記念イベント+新潟の「豪農の館」に感動しました

 
 春寒や 棄民にとほき 夕ごころ      (安東 次男)

 俳句のなかに「棄民」なんていう言葉を持ってくるところは、さすがあんつぐさん、です。棄民、政府によって切り捨てられた元自国民、という意味ですが。詩人の中村稔さんが、「普通の俳人の俳句とは違うところがある。句以前の世界の拡がりがあり、その世界が十七文字に凝縮されている」なんてうまいことを言っています。さすがに長年の親友ならではの、濃やかな理解です。

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画像をご覧ください。ずらりと並んだのは、俳誌「白茅(はくぼう)」のバックナンバーです。新潟県の加茂市で発行されるこの俳誌は、白茅俳句会の機関誌でもあります。この結社は、長谷川櫂さんの弟子筋にあたるふたりの俳人、坂内文應さんと中田剛さんが共同代表を務めます。創刊は、2013年の夏号だったので、このたび創刊7周年を祝って、13号から表紙のオブジェを制作する美術家の加藤啓さんの個展の会場である、新潟市の砂丘館で、創刊記念イベントもありました。

 この「白茅」誌、ただの俳句専門誌ではなく、アート系や音楽のエッセイの連載もある、なかなかスタイリッシュなリトルマガジンです。僕も、創刊号以来、「アート・スパイラル・ノート」と題して自由なアートエッセイを連載していますので、創刊記念イベントには参加しなくては。新潟市を訪ねてきました。

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このお屋敷が会場になった、砂丘館です。もともとは大正3年に建てられた、日銀の新潟支店長の官舎だったそうですが、豪壮な日本家屋です。新潟市の文京区である西大畑町、日本海もすぐ近く、という一画にあります。現在は、NPO法人 新潟絵屋が企画運営を担当していて、美術評論家で、やはり「白茅」に美術エッセイを連載する大倉宏さんが館長をつとめます。

 このなかの蔵がギャラリー。では美術家で、海岸で採取された漂着物や貝殻、流木などを材料に人形を制作する加藤啓さんの作品を紹介します。

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いかがでしょうか、面白い造形です。ご本人は、「アルチンボルデスクな人形たち」と称してられますが、確かに野菜や果物で人物の肖像画を描いたアルチンボルドふう、でもあるでしょう。展示ギャラリーの風景もどうぞ。

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 さてこの日は、15時から、ギャラリーの空間を使って、ライヴの音楽演奏とともに加藤さんが人形を操るというパフォーマンスが始まります。名付けて、PUPPEN ZIRKUS。人形サーカスですね。音楽の担当は、千野秀一さん、かつてはダウンタウン・ブギウギ・バンドのキーボード奏者でしたが、その後は、様々な劇場で舞台音楽や音響を担当したり、色んなアーティストとコラボレーションを続けてきて、現在はドイツ在住です。

 このコラボがステキでした。千野さんは、昔の小学校にあったような足踏みオルガンやらグロッケンやらを演奏し、それに電気処理を加えた実験音楽ふうのサウンドに仕立てます。加藤さんの人形たちは、まるで舞踏を踊るかのようで、糸で操られて、霊的な存在になっていました。うかがうと、若いころの加藤さんは、大野一雄さんの舞踏塾で学んだこともあったそうです。なるほど。

 ただ、舞台の様子は撮影が出来なかったので、ウェブ上に見つけた加藤さんのパフォーマンス画像をご覧ください。

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 さらに、千野さんの演奏した楽器群です。その後の懇親会のときに、千野さんがオルガンを弾きだしたので、なんとなく大勢が周囲に集まってサウンドを聴いていました。そのときの画像もどうぞ。

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「白茅」創刊7周年の記念のお祝いですから、共同代表のひとりの坂内文應さんと加藤啓さんの記念写真を撮りましょう。文應さんは、前句集の『方丈』からひさしぶりの新句集を近々刊行の予定のよし、おおいにたのしみです。(お隣の女性は、加藤さんのお知り合いで鎌倉からお越しとか、でした。)

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今回の新潟市訪問、せっかくの機会ですから、市内の名所?を訪ねようというので、砂丘館の近くにある、坂口安吾の記念館の「安吾 風の館」(元市長公舎でやはり立派な日本家屋です)や、会津八一(1881~1956)が晩年の10年を過ごした邸宅を見学しました。会津八一が住んだ邸宅、「北方文化博物館 新潟分館」という名称が付いています。これはどういうことだろうと命名の由来を問うと、そうか、この邸宅の持主は、新潟県随一の豪農だった伊藤文吉であり、伊藤家の新潟別邸だったここを八一が借りたわけですね。

 さてその伊藤家の本家こそが、新潟市の郊外の、阿賀野川の西岸の集落・沢海(そうみ)に建つ「豪農の館」であり、現在は、北方文化博物館として、一般公開されています。市内中心にあるバスセンターから、約一時間バスの乗客となって、沢海を訪ねました。しかし、この館、訪ねる前に漫然と予想していたものと違って、圧倒的な巨富の蓄積のうえに生まれた、まさに越後の富を象徴する博物館でした。

 お天気に恵まれた午前に訪ねましたが、館のなかをとりあえずスナップ撮影した画像をご覧いただきましょう。ちょっとこの映像だけでは、驚くべき規模のこの豪邸の感じは伝えられませんが。

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館でもらった栞に沿って解説しますと、この伊藤家、江戸中期にこの地で農として身を起こし、代を重ねて豪農となり、やがて越後随一の大地主となったそうです。全盛期には、県内に1370万㎡の田畑を所有し、昭和期には「作徳米」は3万俵あったといいます。

 邸宅は、明治15年から8年がかりで建てられたもの。敷地が29100㎡で、建坪は3967㎡、部屋の数は、65を数えるとのこと、またその屋敷の作りや調度も洗練されているのです。富にあかせて作られた館であるのは間違いありません。ちょっとここはショックでしたね(笑)。

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 さて市内の中心部に戻って訪ねたのは、白山公園です。ここはわが国最初の市民公園だそうで、明治6年に作られたとか。いやいや、立派な公園です。オランダ風の回遊式庭園なのだとか。

 とにかく新潟というところは、日本一の米どころ、その米がもたらした財力とそれを使っての文化的遺産が豪勢きわまりないな、という印象が強く残りました。では、白山公園の風景と、そこでの記念写真をどうぞ。

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 お別れの「折々の引用句」、では会津八一の歌としましょう。晩年に住んだ邸宅の庭にこの歌碑が建ちます。

「かすみたつ はまのまさこを ふみさくみ かゆき かくゆき おもひそわかする」

                                   (秋艸道人 会津八一)

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