愛媛紀行・久万美術館の企画展を観ました+松山市内の久米官衙遺跡群を見学、これには唸りました


 野分吹き返し立てたり 雲の峰    (高橋 睦郎)

 睦郎氏の句集『十年』で詠まれた野分、つまり台風の句です。台風の強い風が雲の峰を立てていった、と風雅に表されますが、目下日本列島を狙う今年の19号は、史上最強!のものとか。とても俳句になど詠んでいる場合ではありません。

 台風19号の接近が先週でなくて良かったです。先週は、空路で四国は愛媛県の松山空港まで飛びました。松山市に二泊して、まずは毎年恒例の、松山市郊外にある久万(くま)美術館の企画展を鑑賞しました。

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今年の久万、「空間に線を引く 彫刻とデッサン展」ですが、これは平塚市美、足利市立美、碧南市藤井達吉現代美と巡回してそのトリをつとめることになりました。この企画展、視覚よりも触覚に導かれて描かれた彫刻家のデッサン、というものに注目し、日本の近現代を代表する20名の彫刻家のデッサンとそれに関連した彫刻作品が展示されています。

 展示会場ではまず橋本平八にスポットを当てていますね。この彫刻家のことは、2010年に世田谷美術館であった実弟の詩人・北園克衛との二人展で知りましたが、独特の東西混淆の汎神論?ふうの宇宙観があるようで、「ケッタイな作家だなあ。モダニストの北園にこんな兄貴がいたんだ」と強い印象を受けました。図録では足利市立美の江尻潔さんが解説していますが、詩人でもある江尻さん、神秘主義やオカルトの世界にはたいそう造詣が深いかたですから、なるほどこの彫刻家に関心があるのでしょう。図録に引かれた橋本の言葉です。「面に依り彫刻を製作する。平面に於ける画は又完全なる立体への舵である。」

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 今回選ばれたのは、柳原義達、舟越保武、佐藤忠良などの大家から、飯田善國、保田春彦、砂澤ビッキ、戸谷成雄、多和圭三、青木野枝といった、僕もよく知る作家のほか、初めて出会う作家も何人か。舟越桂と直木の兄弟(保武氏の子息でもあります)も出ています。舟越直木は、以前に盛岡を訪ねたとき、当時の岩手県立美術館の館長だった原田光さんが、「直木がいいんだよ。兄貴よりいいんじゃない(笑)」とさかんに推奨されていました。今回彼の作品にほとんど初めて接しましたが、なるほど面白いですね。しかし、なんと、2017年に亡くなっていましたか。まだ60いくつだったでしょうに。それは残念。

 さて会場をデジカメで撮影させていただき、ここで画像を紹介したいのですが、作家によってはなにかと制約がキビシイのです。自由にどうぞ、という作家の展示作品を以下に。

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 動物のフィギュア彫刻でお馴染みの三沢厚彦です。三沢の作品は、去年の富山市の高志の国文学館での堀田善衛展を訪ねた際に、ちょうど富山県美で大規模な個展が開かれていたので観てきました。その時はずいぶんと巨大な作品も出ていて、子どもたちが大喜びしてましたね。

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 こちらは高垣勝康の作品です。今回初めて知りましたが、どこか強く惹かれるものを覚えます。彫刻のタイトルは「incarnation」、受肉という意味ですね。自己という存在はなにか、と問う、強い求道精神を感じます。しかし、この作家も、1963年生れとまだ若いのに、舟越直木と同じ2017年に54歳で病死したよし。残念なことです。

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 そして1968年生まれの棚田康司です。棚田の手法は一本の丸太から人体を彫りだす、というもの。或る種のアニミズムに通じるものがあるのかもしれません。棚田作品、いつも案内を送ってくれるミズマアートギャラリーの作家のひとりですから、これまでもけっこう見てきました。

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 会場の一画に、僕には嬉しいコーナーが出来ていました。うえの画像の右側が若林奮さんの、左側が森堯茂さんの展示コーナーです。若林さんとは、詩人の吉増剛造さんを通じて僕もご縁を頂きました。発行していた同人詩誌の「ミニヨン・ビス」の3号に若林さんのドローイング「石枕」を拝借して掲載したこともあります。亡くなったのは2003年の秋でした。多磨霊園での葬儀に参列したときのこともよく覚えています。今回の出展作のモチーフは犬、ですね。図録にある「若林はドローイングを薄い彫刻としてとらえていた」という言葉が印象に残ります。

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 その隣が森堯茂さんのコーナー。森さんと出会ったのは、こちらがNHK松山局のディレクターだった24歳のときでした。1922年生れの「森先生」、ちょうど父親と同じ年齢でしたが、ずっと親しい友人としてお付き合いいただき、わが家には森さんの鉄の彫刻作品が二点あります。さて今回の出展は、1950年代の「罠」や「さらわれたかたち」ですが、高木館長のお話しによると、「森先生、制作の際のデッサンはちゃんと取っておかなかったので、数が限られるんです」とのこと。それはもったいない話です。

 2007年にこの久万美術館であった森堯茂展の折には僕もお手伝いをして、会期中にはこの展示フロアで森先生との公開対話を行なったのでした。そんな懐かしい場所でもあります。では、わが家の森堯茂作品「岬」と「弧の空間」の画像、それに森先生が2017年の11月に亡くなる一年前でした、ここ久万美術館でのオープニングで最後にお目にかかっていた際のスナップをどうぞご覧ください。

IMG_5214.JPG森堯茂 「岬」.jpg森堯茂 「弧の空間」.jpg森堯茂先生と久万美にて 2016年9月.jpg

 なかなか見所の多い、佳い企画展です。松山市郊外の久万高原町にある久万美術館で12月8日まで開催しています。

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 松山市に滞在した十月初旬は、ちょうど地元の秋祭です。いくつもの地区からお神輿が出て練り歩き、市内はお祭りのムードです。レンタサイクルで市内を巡った七日は月曜でしたが、おや市内の小学校はお休みのようで、市内のあちこちで子ども神輿の行列に出会いました。

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 今回レンタサイクルで訪ねようとした第一の目的地は、市内南東部の久米と呼ばれる地域にある「久米官衙(かんが)遺跡群」です。僕がNHK松山局の職員として四年間この街に住んだころはそれほど注目されていなかったはずですが、その後に遺跡の発掘と調査・研究が進み、なんとここには、七世紀ころの大和政権の出先機関である政庁や正倉院、長大な回廊までを含む3万㎡の官衙の遺跡に加えて、白鳳時代の寺院跡の「来住(きし)廃寺跡」があるのだとか。先日に刊行された松山在住の友人の詩人・栗原洋一さんの詩集『岩船』のなかの詩篇でこの場所が言及されているので知って、「ああ、これは絶対訪ねなくては」でした。国道11号線に面したユニクロのショップの裏ですね。

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 いやあ、驚きました。遺跡の説明の看板や廃寺跡の記念碑などもありますが、古代のこの国のひとびとの暮らしと社会というものがまざまざと実感されます。瀬戸内の海岸からはかなり離れたこの地にこんな広大なお役所や穀物倉があったのは、この近くを小野川と堀越川という二本の川が流れているので、水運が利用できたからだそうです。

 気になったのは、まるで古墳のような小さな森です。説明を読むと、ここは来住廃寺(きしはいじ)の金堂基壇跡で、柱を据えた礎石と塔露盤(とうろばん)と呼ばれる巨石が残るそうです。行ってみましょう。

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 塔露盤は、残念ながら保護のためにビニールシートで覆われていますね。でもここに立つと、古代人の霊魂と交信が出来そうな気分になりました(笑)。記念撮影をお願いしましょう。

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 さあお別れの引用句、久万の図録に収められた江尻潔さんの力作論稿から、としましょう。若林奮さんの「黒い光」という鍵語を用いて、こう綴っています。

「触れがたいものの最たるものとして、また彫刻にとって欠くべからざるものとして「黒い光」がある。これを蝕知するため、彫刻家はデッサンを修練する。彫刻家は、まずデッサンにより「黒い光」をとらえ、触れている。彼らのデッサンの線は、そのまま「黒い光」の発散なのである。よって、デッサンは、彫刻の初発の姿であり、平面でありながら空間に作用を及ぼしている。ここに彫刻家のデッサンの特質と魅力がある。」
           (江尻 潔 「「黒い光」の発散」)

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