愛媛紀行(続)・大洲の臥龍山荘と少彦名神社(参籠殿)を訪ねました


 大いなるものが過ぎ行く 野分かな     (高浜 虚子)

 台風19号、稀代の雨台風となったようで、各地での大河の氾濫、特に千曲川の堤防決壊による浸水を伝えるニュースには驚かされました。新幹線の車列が水没している!これも地球温暖化が生んだ惨状でしょう。虚子のこの野分の句は、雨よりも強風をともなう大きな台風が通ってゆく気配を詠んだもの。大雨も強風もクワバラクワバラです。

 さて松山で久米官衙遺跡群を見学した翌日は、JR予讃線の特急でしばらく南西に移動して、大洲の街を訪ねました。大洲といえば昔、NHKの朝ドラ「おはなはん」で有名ですが、この街でぜひ行きたいのはここ、風雅をきわめた日本建築と庭園の臥龍山荘(がりゅうさんそう)です。

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 城下町大洲の街の東端、街を流れる肱川の流域随一の景勝地とされる「臥龍淵」に臨んだところに三千坪のこの山荘はあります。入口に建つこの碑は、2016年にここが国の重要文化財に指定されたのを記念したもの。小さな門をくぐって、まず母屋の臥龍院を見学しましょう。観覧料は500円です。

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臥龍院は、茅葺き屋根の農家ふうの外観を持ちますが、これは茶屋建築家の監修を受けて、桂離宮などの建築を参考に、京都から大工や指物師らを招いて建てたそうです。建築は明治30年代、施主は、地場産業である蝋を外国に輸出する商売で財をなした貿易商の河内寅次郎でした。これから内部もご案内しますが、千家の茶道具職人や日本画家の鈴木松年というひとなども近畿から招き、まさに類ない匠の技を施して完成させたこの山荘、「鄙には稀な」というべき趣味の良さで貫かれていますね。

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 ここは「清吹(せいすい)の間」、花筏の透かし彫りが見事です。谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』の世界が具現化されています。

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 続いては「霞月(かげつ)の間」。違い棚は霞を、丸窓は月を表すそうです。襖の引き手は蝙蝠(こうもり)で夕暮れの空間を表現したとか。また壁の一部が壊されていて、鄙びて崩れかけた農家の雰囲気を出しているのでしょうか。松年の絵は廊下に出ています。

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 こちらは格調高い書院座敷の「壱是(いっし)の間」、畳を上げると能舞台となるそうです。だから床下には音響をよくするための備前焼の壺が並ぶのだとか。ここから眺める庭の風景も興趣があります。

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 この山荘の主だった河内寅次郎の写真が出ていました。寅次郎は余生を故郷で過ごしたいという思いから、ここを建てたのだそうです。

 さてここでまた靴を履いて、石庭などを鑑賞しながら、先の不老庵に向かいましょう。途中で記念撮影です(笑)。

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 おや、茶室があります。知止庵(ちしあん)と言います。

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 最初は浴室だったのを昭和24年に茶室に改造したとか。「止知」と書かれた庵名の書体が渋いです。陽明学者の中江藤樹の教えからとったそうです。藤樹は近江聖人と呼ばれるように、近江の国のひとですが、仕えた藩主の加藤家の国替えで大洲にしばらく暮らしたことがあるのです。

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「潜龍洞」という氷室が作られ、石の狸が置かれています。そろそろ不老庵の前に来ます。

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 この二枚の画像はHPのものなどを借用しましたが、不老庵、臥龍淵を下に見る崖に舞台造りとして建てられたのですね。また建物を舟に見立てた内装です。これは凝ったもの。

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 「捨て柱」という技法も用いられています。柱のひとつに生きた槙の木を使っているのです。外から確認しましょう。

 とにかく、日本建築の粋を生かした、高度に風雅な、という言い方もおかしいでしょうが、そんな見事な山荘です。「大洲の臥龍山荘」、ぜひ憶えておいてください。

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 大洲の街で、続いて訪ねたいのは、肱川に面して修復された天守閣が建つ大洲城ではありません。天守閣からは街が一望のもとに見渡せますが、まあそれだけ(笑)。それよりも一見の価値があるのは、中心部をちょっと離れた山沿いにある少彦名神社の参籠殿(さんろうでん)ですよ。タクシーで向かいました。

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 まずは本殿にお詣りし、それからうんと高く続く道を登って、参籠殿にやってきました。ここ、こんな作りなのです。

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 参籠殿のなかには自由に入れますが、下を覗くと怖いくらい。清水寺の舞台のようです。ここが建てられたのは1934年とか。その後建物の構造体が劣化して老朽化が激しかったので、2014年から改修工事を始めて2016年に完成、そして、ユネスコアジア太平洋文化遺産保全賞の最優秀賞を獲得したそうです。どうやら大洲には大工さんの名人が大勢いるのでしょうね(笑)。参籠殿、下からのカットをご覧ください。

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 お別れの引用句、せめて中江藤樹先生の文章の一節でも、とわが家の書架を探るのですが、陽明学派関係のものは一冊も所持していませんね。しかたありません、岩波の古典文学大系の『近世思想家文集』のなかに収められた「近世思想界概観」という文章から藤樹に関わるくだりを引いてお茶を濁します(笑)。悪しからず。

「とにかく藤樹にしても、(熊沢)蕃山にしても、体制の中で志をとげることができなかった点で、朱子学者のように体制に密着するものの多かったのとはやはり異なるところがあったことは疑いない。」
              (家永 三郎「近世思想界概観」より)

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